


発達障害とWICS-Ⅲ子ども向け知能検査の意義とは?

目次
発達障害の特性があった。あるいはある。といわている人物が大きな功績を残したという話を聞いたことがあるでしょう。
発達障害の可能性があったという人物もふくめると
・ダーウィン
・スティーブ・ジョブズ
・ビル・ゲイツ
・三木谷浩史
・野口英世
・アインシュタイン
・モーツァルト
・トム・クルーズ
・エジソン
・黒柳徹子
・水木しげる
・山下清
・夏目漱石
ほかにも疑いということなら、多くの著名人の名が上がってきますが、明らかに特性を持っていたといわれるのが、エジソン、ダーウィン、アインシュタインです。
この3人に共通することは何でしょうか?
それは、研究に没頭する環境を手に入れたということです。
その他の人物に関しても、同様でしょう。
人生で凸を活かすためのポイントを、この3人の史料から見ていきます
進化論を発表したイギリスの科学者チャールズ・R・ダーウィン(1809~1882)。
彼は、子どもの頃から変わり者で、大人になってからも社会性には乏しかったといわれています。
彼の子ども時代は、収集癖があったことで知られています。
集めたものは
・貝殻
・岩石
・昆虫
・鳥の卵 など興味を惹くもの全てだったようです。
学校の授業では、教室を飛び出して家に帰ることもたびたびあったとか。
ダーウィンは特定の生き物に異常なほど興味を持つことがありました
・ラン
・甲虫
・エボシガイ
・フジツボ
・ミミズ などに熱中したという記録があります。
子ども時代の彼は、毎日朝には鳥の観察、昆虫の採集に熱中していました。
そして、標本を持ち帰ると、とにかく観察。
その後、ダーウィンは16歳でエジンバラ大学に入学し、医学を目指しました。
さらにその後、ケンブリッジ大学で数学や進学を学んだものの、新たに昆虫学・植物学に興味をいだいていたようです。
ケンブリッジ大学を卒業後、南アメリカの調査船「ビーグル号」に博物学者として同行。この旅における体験が「進化論」に関連するダーウィンの研究の礎となりました。
帰国後、彼は定職には就かず、研究に専念する人生を歩んでいます。
仕事は、経済面で資産家の父にたよっていたため、今でいう、まさにニート。
30歳で従姉妹と結婚し10人の子どもをもうけています。
結婚後の大半は、ロンドン郊外に住み、彼はその家からほとんど外に出ないで過ごしました。
その生活面では
・毎日のリズムが狂うと体調が悪くなった
・少しでも興奮することがあると頭痛や嘔吐の症状が出た
・1日4時間以上は仕事ができなかった
との記録があります。
このような状況を考えると、彼が自閉スペクトラム症(ASD)であった可能性が高いといえるのではないでしょうか。
相対性理論、特殊相対性理論を通して、時間や宇宙の概念を大きく変えたアルベルト・アインシュタイン(1879~1955)。
彼はASDの特徴を持っていたことが広く知られています。
アインシュタインは言葉の遅れがあり、7歳ごろまでスムーズに話すことができなかったという記録があります。また。感情の爆発しやすい子どもでした。
彼には、言われた言葉を繰り返す、いわゆる「反響言語」の癖がありました。これはASDの子どもさんには特徴的な癖。
また、アイコンタクトも苦手だったようです。
そのため、教師たちは、アインシュタインは知的障害者だと考え、社交性がなく、いつも馬鹿げた空想をしていると報告したといわれています。
得意な科目は数学。歴史と地理は嫌いだったようです。
12歳のときにユークリッド幾何学に感動し、のちにアインシュタインはユークリッド幾何学を申請な書物だと述べています。
その後、家族や親戚の力を借り、勉強を続け、チューリッヒ連邦工科大学を卒業。スイス特許局で専門調査員となり研究に没頭します。
そこでの研究成果が認められたアインシュタインは、その後、ベルリンなどの大学で教鞭をとるようになります。
彼は講義中に話が飛ぶことが多く、講義と関係のない一般的な原理を話したり、黒板に書いた数式とは別のことを書いたりすることもあったようです。
ベルリン時代の彼の趣味は、競走用の小型ボートの操縦。湖で頻繁に操縦を楽しんでいたという記録も残っています。
また、家族に対しては愛情を傾けなかったという史料もありますし、身なりには無頓着であったようです。
アインシュタインはこのように語っています。
「わたしは、どんな国にも、友人たちの集団にも、家族にさえも、心から帰属したことはありません。これらと結びつくことに、常に漠然とした違和感を感じていて、自分自身の中に引きこもりたいという思いが、年とともに募ってきました」(ジェリー・メイヤー、ジョン・P・ホームズ「アインシュタイン 150の言葉」ディスカヴァー・トゥエンティワン)
トーマス・A・エジソン(1847~1931)。アメリカの発明家・起業家。
小学校では教師から見放され、3ヶ月で退学したことは有名な話です。その後、母親が彼に勉強を教えることになります。
学校での授業での逸話もいくつかあります。
そのひとつが
「1+1=2」が納得できないという話。
こんな質問を教師にしたのです。
ひとつの粘土と、もうひとつの粘土を合わせたら、大きなひとつになるのに、なぜ2個なの?
確かに、数だけで見れば、なるほどという話ですよね。
また国語の授業中には
「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」という質問をしたり、先生になぜの質問をいくつも投げけるような子どもでした。
そのなぜに、とことんつきあい、丁寧にわかるまで説明して教え続けたのがエジソンの母親でした。
そのために母親が与えたのが、大量の本(百科事典、歴史書、化学、世界の名作など)と、事件専用の地下室でした。
そこで、自分の「なぜ」を調べ、実験し知識を得ていきました。
そして、もうひとつ大切な要素として見逃せないのが、母親が息子であるエジソンとの「対話」を欠かさず行っていたこと。
まさに好きなことをやれる環境。毎日が自由研究です。
こんな環境だったからこそ、疑問に思ったことの周辺知識を経験を通して学んでいけたのでしょう。それが、多くの革新的な技術を発明する基礎となったわけです。
1868年。エジソンは21歳で始めての特許を取得します。
翌年の1869年に特許を取得した株式相場表示機が業界でも受け入れられ、特許を譲ってもらいたいというオファーを受けました。その時の買収金額が4万ドル(現在の日本円で2億円相当)。
1877年に蓄音機の商品化。そして1879年に、白熱電球の発明に成功しました。
3人に共通するのは、形こそ違えど、学び続ける環境があったこと。そして、研究できる環境を手に入れたことでしょう。
そこには、家族や周囲の人々のサポートが必ずありました。
エジソンの場合は、いまでいうところのホームスクリーングという方法になるでしょう。
このホームスクリーング、日本では義務教育があるため正式には認められていませんが、子どもが不登校になった場合などは柔軟に対応するよう通達がでています。
実際、アメリカでは盛んに行われいますし、将来は教育の選択肢として日本でも正式に可能になってくるかも知れません。
実際に行うとなると、デメリットも多いのが実情
・親の教育方針で学力が決まる
・人間関係が希薄になりやすい
・同年代の友だちができない
・新たな発見をしにくい
4つ目については、エジソンの母親のようなやり方であれば問題はないでしょうが、義務教育で学ぶべきことは日本ではある程度決まっています。
もちろん、メリットもあります。
・個性を育める
・ストレスが少なく、リラックスした環境で学べる
・子どものペースで学べる
・時間効率が良い場合もある
・自立心を養える
子どもさんが不登校で勉強が進まないということであれば、親が教えていく、あるいは学校以外の選択によって勉強させていくほかないとなれば、選択肢のひとつとして考えておくと良いでしょう。
そして、もうひとつ3人に共通するポイントが経済力です。
ダーウィンは資産家の父親がいました。
アインシュタインも親戚のサポートがありました。
エジソンは母親が全面的に支援しました。
また、発達障害の子どもさんすべてに、この三人のような、あるいみ特筆した能力があるとは限りません。
ですが、多くの発達障害の子どもさんに、秘めた高い能力があることがわかってきています。
その能力を引き出すのは、小さい頃からの自信の積み重ねと、子どもさんの好きなことをやれる環境をつくることです。
自信を持つのは、ほんとうに小さな「できる」でよく、勉強でも運動でもきっかけはなんでもかまいません。
また、学校の時間を楽しく過ごせるという意味では、発達障害の子どもさんが苦手意識を持ちやすい運動療育は効果が高いといわれています。
運動は正しい動かし方と方法で練習すれば、できるようになるものが多いのも特徴。また、小さな達成を積み重ねることで、チャレンジする心も養うことができます。
何より大切なのは、親御さんが子どもさんと、たくさんいろいろなことを一緒に経験することだといわれています。
たくさん話し、たくさん成功体験を共有し、たくさん褒める機会をつくる。それが、子どもさんの将来に繋がる力とを養い、やりたいことを見つけることになります。
特性に合わせた職業を選ぶことで、ストレスが少なく、「生きづらさ」をあまり感じない子どもさんにとっての幸せを見つけられる可能性が広がります。
親御さんだけで難しいことがあるのであれば、公的機関や民間機関の力を借りていけばよいのです。
子育てを「やり直したい」と後悔しないで、やりきったと思えるなら、家族が幸せを感じられるのだと思います。
それは親だけの力ですべてを行うことではありません。結果、子どもさんの将来を豊かにできるか。そういった視点で社会にある仕組みやサポートをうけていくことが大切になってきます。